辺りは真っ暗で出口どころか石ころ一つ見えない。
音もしない。生き物の気配が全くしない。
ようやくここで異常であることにわたしは気がついた。
怖くなってソーヤたちを呼んでみる。
……返事はない。
みんなを捜さなきゃ。大丈夫、みんなすぐに見つかる。
わたしは歩き出した。
早く会いたい。
わたしはみんなのトレーナーなんだから、わたしがちゃんと見つけなきゃ。
闇雲に進んだせいか、体は段々と重くなっていく。
まだわたしは大丈夫。
大丈夫、だいじょうぶ。
そう言い聞かせながら歩いて、歩いて、転んだ。
だいじょうぶ、なんだから。
いつまで経っても見つからない。
わたしはこの暗闇の中ひとりぼっちでいなきゃいけないのかな。
みんな。みんな、どこにいるの?
「大丈夫だよ」
目の前にふわりと光が舞い降りた。
ううん、光じゃない。女の子だ。
柔らかそうな茶色い髪と、綺麗な緑の目をした、女の子。
女神様みたい。
見惚れていると、その子は座り込んでわたしの頭を撫でる。
「安心して? みんな大丈夫だから」
その手は優しくて、おばあちゃんを思い出した。
「ポケモンセンター、っていうんだよね。貴方の家族はそこにいる」
ポケモンセンター。
そうか。みんな、あんなに怪我をしていたんだもの、行くに決まって……怪我?
なんで、みんな怪我をしていたんだっけ。
すると、すっと頭の中に記憶が浮かび上がる。
いやだ、思い出したくない。
体は恐怖で震え身を縮こませて拒絶するけれど、記憶は思いに反して再生される。
あのとき、ポケモンたちが暴れ出して。
その原因であるマコトくんたちロケット団と戦って。
人もポケモンも傷ついて。
ソーヤも、リッカも、センも、大怪我をした。
「ね、ルナ。人とポケモンが共に暮らす世界って素敵だよね」
……?
うん。わたしもそう思う。
「素敵だって、いいなって思えるなら、もっとこの世界を見て欲しいな」
その言葉は、わたしの心にすっと染み込んだ。
「見て、聞いて、感じて欲しい。そして考えて、選んで。貴方がどうしたいのか」
——身体中が痛い。
視界の端でカーテンがふわりと揺らめくのが見えた。
流れてくる風が気持ちいい。
「ルナ! 目が覚めたんだね!」
右を見ると見覚えのある顔がわたしに声をかけてきた。
彼がここに連れて来てくれたのだろう。
「大丈夫? 僕が誰かわかるか?」
心配そうに覗いてくる目は少し疲れが見えた。
「……アッシュくん?」
「そうだよ! アッシュだ! ……よかった、本当によかった」
体が悲鳴を上げるのを無視して起き上がる。
ホッとしたような笑顔を浮かべた彼の顔を見てわたしもつられて笑顔になるが、次の瞬間青ざめた。
「あああアッシュくん! ソーヤは? リッカは? センは!?」
「ルナ、落ち着いて! 大丈夫、大丈夫だから!」
だって、だって!
いつも笑顔だったソーヤが、あんなに辛そうだったんだよ!?
いつも強気なリッカが、弱気になるくらいひどい目にあったんだよ!?
まだ知り合って間もないわたしたちをを庇って、センが大怪我したんだよ!?
「ああー、もう! だから落ち着けって言ってるだろ! ここでそんな暴れても意味がないだろ!」
「あ、えと、えっと。ごめん……」
怒鳴られてびっくりしてしまった。
でも、軽くパニックになっていたから助かったかも。
「あ、いや、こっちも強く言い過ぎた。驚かせてごめん。それに心配なのはわかるし。それでソーヤ達なんだけど、全員無事だ。さっきポケモンセンターから連絡があって、もうみんな回復したって」
「本当?」
「ああ! あっちにはヒイロがついてるよ」
みんな、無事。
「よかった……」
それを聞いて心の底から安堵した。
あの子が言うとおりみんな助かったんだ。
「体の方は痛んだりしない?」
「うん、大丈夫」
生活に支障が出るほどの大きな怪我はしていない。
わたしって結構頑丈みたい。
「それにしても、ルナって凄いな!」
「え? 何が?」
「だって、あんなことが起こったのに? 君に助けられたって言う人にも会った。君が戦っているのを見て、自分達も戦おうと思ったトレーナーも多かったみたいだし」
そんなことないと思うけどな。
わたしは元々彼らを追ってクチバまで来たけど、他の人たちはそうじゃないんだし。
アッシュくんの話を聞いて少し思い出した。
マコトくんたちロケット団は自分のポケモンを出さないで、ダークポケモンたちに指示をしていた。
理由はわからない。ただ単純に強いから、だろうか。
ダークポケモンは強い。
どんな原理なのか知らないしわかりたくもないが、そのポケモンの能力を最大限に引き出しているようだ。
それが普通の人とポケモンの関係で起こるものなら、その人が優秀なトレーナーって話で終わったのに。
しかも、バトルでも何でもないあんなことをさせるなんて。
わかんないよ。
「そうそう、ここのジムリーダーがさっき……ルナ?どうかした?」
「え? どうもしてないよ?」
怪訝そうな顔をされるとわたしも困るんだけどなー。
うう、何か言わなきゃ。
「えーっと、ロケット団の人たちは、なんで自分達のポケモンを使わなかったのか考えてたの」
「ロケット団だって? ……今回の事件ってあいつらが起こしたものなのか?」
「うん。わたし、クチバに来る前に……」
マサキさんの家であったことを話そうとしたとき、ドアが勢いよく開いた。
「その話、詳しく聞かせてもらえるかしら?」
あの、ジュンサーさん。台の大人が病室にノックもなしに入ってくるのは非常識だと思います。
——小さな病室で厳めしい顔の大人がわたしを囲んでいる。
うん、はっきり言おう。怖い。
「……と、いうわけです」
わたしはこの中では話しやすいジュンサーさんも交えて、あの日の出来事を所々端折りつつ説明した。
「他に知ってることは? 些細なことで構わないから」
「ごめんなさい。わたしもこれ以上は……」
全て話すと、なんでマサキさんの家に行ったのかとか、未来のこととかも話さないといけなくなるし。
事情聴取の場で言いたくない。
「ポケモンの暴走ってニュースじゃ伝えられていたけど、そんな機械が使われていたなんて……。警察じゃそういう情報掴めていなかったんですか?」
「ロケット団が復活した、と言うのはね。祭り会場で怪しい人影を見たって話もあまり聞かなかったわ」
そっか、マコトくんたちを見た人ってほとんどいないんだ。
周りからじゃポケモンたちが突然暴れ出したように見えたし、そう伝えられても不思議じゃないかな。
「それにしてもダークポケモンなんて単語、この地方で聞くことになるとは思わなかったわ。二人とも協力ありがとう。それと何かあったら警察に連絡を。戦ったりしたらダメよ。いいわね?」
「は、はい」
「気をつけます」
最後に睨みを効かせてわたしたちに注意すると、ジュンサーさんは帰って行った。
そのとき、マサラ出身のトレーナーってなんで戦おうとするのとか、もっと大人を頼りなさいよとか色々心の声がだだ漏れだったのは聞かなかったことにしておく。
「やっと終わったー。全く、戦うなって言うなら警察ももう少ししっかりして欲しいよな」
でも、あの人たちの言うとおり。
見つけた時点で連絡するべきだったんだろう。
そうすれば、みんなを守れたかもしれない。
マサキさんから連絡はしてもらったし、この時代の警察は頼りなさげだしって最初から頼ることを考えてなかった。
その結果があれだ。
わたしはトレーナーなのに。みんなを守らないといけないのに。
『人のこと言えるのか? あんただって自分の都合でポケモンを傷つけているだろう!』
あのときのマコトくんの言葉が蘇る。
わたしの、せい?
「なあ、気分転換にこのあとバトルしようよ。……ルナ?」
「ごめん、アッシュくん。今は、一人にしてくれる?」
こんな顔、誰にも見られたくない。
「……わかった。ちゃんと休むんだよ」
みんなが傷ついたのは、わたしのせいだ。
わたしがこの時代に来なかったら。
ポケモントレーナーにならなかったら。
みんな、平和な生活を続けていたかもしれない。
どうかしてた。舞い上がっていた。
夢物語でしかなかった世界が目の前に突然現れて、ずっと憧れてた職業への道が拓かれて。
もっと一緒に居たい、もっと知りたいなんて思ってしまって。
本当はさっさと居なくなるべきだったのに。
わたしのワガママが、大事なひとたちを傷つけた。
……ねえ、おばあちゃん。
「おばあちゃん。わたし、あの子たちと一緒にいていいと思う?」
記憶の中のその人は、笑うばかりで何も答えてくれなかった。
——一人になってどれ程経っただろう。
前は何かあればセンのところに行ってたし、今はソーヤたちがいる。
こんな気持ちのとき、誰もそばにいないことなんて今までなかったかもしれない。
『ルナー!!!』
「ソーヤ?」
ドアの隙間から飛び出してきた小さな相棒の姿を見て、急いで目元を拭う。
大丈夫、これくらいならきっと誤魔化せる。
『大丈夫? どこも痛くない? ぼくのことわかる?』
『ルナ! このバカ! なんであたし達の盾になろうとすんのよ!』
『お前達やめないか、困ってるだろうが。ルナ、体は大丈夫か?』
ソーヤに続いてリッカとセンも部屋の中へ。
みんなの方がひどい怪我だったのに、もうみんな全快のようだ。ポケモンってすごいね。
「彼らと早く会いたいだろうと思って迎えに行ったんだ。迷惑だった?」
「ううん、そんなことない。ありがとう」
すると、ソーヤがわたしの顔を見て首を傾げる。
『あれ? ルナ、泣いてたの?』
「え? 泣いてなんかないよ?」
気付くな、気付かないで。
「泣いて……? あ、僕に出てけって言ったのそのためか」
「ななな泣いてない、泣いてないってば!」
「吃りながら言っても説得力無いってば。あれ、初めて会ったときもこんな会話した気がする」
これ以上の抵抗はしても意味がなさそうだ。
自分でも嘘をつくのは苦手だってわかってるし仕方ない。
「でもほら、わたしは大丈夫だよ?」
『むー、ほんとー?』
『わかったわ。そういうことにしておいてあげるわよ』
『はぁ……こんなところまであの子とそっくりだとはな』
こう言えばこの子たちは追求してこない。
隠し通せる。
「みんな納得してないって表情してるけど」
「大丈夫、わかってくれるよ」
大丈夫。
そう答えつつ彼の顔を見ると、ちょっと不機嫌そうだった。
「そう?ならいいけど。あ、そうだ! ルナ、もう動けるよな?」
「うん。いけるよ」
「じゃあ、バトルしよう!」
気迫と言えばいいのだろうか。
アッシュくんの勢いに飲まれてわたしは頷くことしかできなかった。
——バトルフィールドにわたしたち以外の人影はなく、貸切状態だった。
ここに来るまでに見えた街にははっきりと事件の傷跡が残っていて、多分、多くのトレーナーが復興支援に行っているのだろう。
「ルールはあのときと同じ一対一でいいね?」
「う、うん」
あのときからアッシュくんも強くなっただろう。
でも、それはこっちも同じ。
「ソーヤ、お願い」
『うん!行ってくるねー!』
「ヒイロ、頼む」
『ああ!』
相手はあのときと同じリザードのヒイロ。
あのときのリベンジ、出来るかな。
「ヒイロ、まずは火の粉だ!」
『わかってるって!』
牽制に打たれる小さな炎を避けるソーヤにわたしも指示を出す。
「砂かけ!」
『オッケー!』
よし、そのまま……。
「え?」
声がする。ポケモンの声、動物の声、人の声。
助けを呼ぶ声、親を呼ぶ声、子を呼ぶ声。
悲しい声、怒りの声、表情のない声。
『ルナ、指示、指示!』
「いや、いやだ……」
『ルナってばー!』
ソーヤが呼ぶけれど、答えることが出来ない。
「ヒイロ、ありがとう。一旦下がって』
『おう。頑張れよ』
そんなわたしを見兼ねてか、アッシュくんはバトルを中断する。
わたしはやっと自分の体が震えているのに気付いた。
「バトルが怖い? いや、ポケモンが傷つくのが怖いんだろう?」
「そんなこと……!」
ない、とは言えなかった。
「あのときも君はポケモンが傷つくのを怖がってたよ。でも、あのときは楽しいバトルをしてた。また戦いたいって思うようなトレーナーだった。でも今日はずっと違和感があったんだ。極度に恐れているというか……」
やめて、言わないで。
「目の前であんなことがあったんだ、怖かったなら怖かったって言ったっていいんだよ。君はポケモンと話せるんだろ? なら彼らにもっと自分のこと話せって言ってるんだ。ポケモンたちが無理なら家族は? 友達は? 僕にだっていい。そのポケギアは何のためにあるんだよ!」
わたしには話せない。
テンションが上がってきてしまったのか、段々と彼の言葉が強くなる。
「ルナが無理をしてるのは僕にだってわかる。パートナーであるポケモン達がわからないはずがないだろうが! 君はソーヤ達のトレーナーだろ!? それも、僕のような普通のトレーナーよりも対等になれるんだ! なのに何で君からそれを閉ざすんだよ!?」
トレーナーだからこそ。こんなことを言ってみんなに心配かけたくない。
「そんなボロボロになって、どれだけ僕たちに心配させるつもりだ!?」
涙が溢れる。
涙と一緒に、心の中に留めていた色々なものが溢れ出す。
閉まっておこうと思ってたのに。
気付かないふりをしようと思ってたのに。
「怖かったの! ずっと怖かった!! 朝起きたら自分の部屋で、全部夢だったんじゃないかって!」
怖かった。
向けられている笑顔が幻かもしれないことが怖かった。
共に歩んだ道が否定されるのが怖かった。
「ここにいるひとたちは、異物であるわたしを受け入れてくれて、みんなあったかくって……ライバルだって言ってくれる人がいて、見守ってくれる人がいて」
怖かった。
離れたところじゃなくて真横に立ってくれる人が居なくなるのが怖かった。
導いてくれる人が居なくなるのが怖かった。
「でも、わたし、周りと違うから! わたしはこの時代の人間じゃないから! いつか別れないといけないってわかってるのに、寂しくって、辛くって」
それに気付いたのは昨日のことで。
でも、帰らなきゃいけないから胸の奥に隠してた。
「でも、ソーヤもリッカもセンも、わたしがここに来なかったらみんな怪我しなかった! 傷つかなかったの!! みんなが傷つくのが怖いの、わたしのせいでああいうことに巻き込まれるなら、わたし、一緒に居たらいけない、じゃないかって……!」
それ以上は子供のようにしゃくりあげてしまって、言葉にすることが出来なかった。
『ルナのバカぁ! ぼくだって、ぼくだって離れるの嫌なんだからぁ! ずっとみんな一緒がいいの!』
「わたしだって、わたしだってぇ! みんなと居たいよお!」
ソーヤのことをぎゅっと抱きしめる。
この日わたしは、未来に渡ってから初めて大泣きをした。
——クチバジム前にて。
「ルナ、勝てた?」
「うん、バッチリ!」
何処でわたしのことを聞いたのか、ここのジムリーダーのマチスさんがジム戦をしてくれることになっていた。
アッシュくんのお陰でスッキリとした状態で戦えたから、自分でもいいバトルができたと思う。
「ありがとう、アッシュくん」
「僕があんなルナを見ていられなかっただけだよ。ほら僕たち、ライバルだし?」
「そうだね。……次は負けないから!」
「今度も僕たちが勝つさ!」
こうやって競い合える相手がいる。
『ルナ、ルナー! おなかすいたよー、ハンバーグ食べたーい』
『あたしスパゲッティがいいなー』
『いなり寿司だな』
「みんな食べたいものバラバラ過ぎだよ?」
こうやって笑い合える仲間がいる。
やっぱりここは、あたたかい。
生まれ育ったあの場所が冷たいわけではない。
でも、この時代で生活していると、大事なものをあそこの人たちは失くしてしまったんじゃないかって。
「僕もご相伴に合おうかなー」
「アッシュくんも?」
この世界を見て、聞いて、感じて。
あの子に会えたら、わたしの答えを聞いてもらおう。
それが新しくできた、わたしの旅の目標。