動物達は逃げ惑い、植物達は泣いている。笑い声が響き、そこに住まう者を追い立てる。燃え盛る炎は全てを包み、彼らの家も想い出も灰になる。
何故こんなことに。
炎にその体を金に煌めかせ、燃え落ちる木々の間を飛び、幼き龍は思う。
スラリと伸びた首に少々丸みのある胴体、額にはの五角形の、胸には三角の模様がある。人々を魅了するその可愛らしい顔立ちは、今は涙で汚れていた。
むげんポケモンラティアス。
空へと飛び去った彼女の手には、光り輝く青い玉が握り締められていた。
*おさなごはたまにねがう
ラティアスは森で兄と二人暮らしをしていた。
眠りたい時に眠り、腹が減ればきのみを食べ、同じ森に暮らす仲間と遊ぶ。たまに喧嘩をし、太陽を浴びて、星を見る。
時には青い玉を二人で眺め、語り合った。
この青い玉は僕等を繋げているんだ。兄は言った。
私達を? 彼女は聞いた。
そうだ。兄はうなづくと、玉を手に取り語る。
これは僕等の兄妹と繋がっている。もちろん、僕等もだ。
遠く離れた場所に居ても、その玉を目印にして、仲間に会いに行けるんだ。
どんなところに居ても? もし、兄さんと離ればなれになっても会える?
彼女が聞くと、どんなに離れていたって、玉に願えばお前の所に飛んでいくよ。兄は答えた。
さあおやすみ。今日はここまでだ。兄に従って彼女は目をつぶった。
ゆったりとした暖かな時間。
ただそれだけの、だが満ち足りた生活だった。
人里から離れたここにも、極々稀に人間も訪れていた。
森の恵みを手にいれに来た者、研究に来た者、修行に来た者。
皆森を慈しみ、無闇に傷付けることはない。
どこで噂を聞いたのか、彼女達兄妹を捕らえにくる者達もいた。正々堂々と勝負を仕掛けてくる者達との戦いは、彼女もその兄も常に楽しんでいた。
人間とポケモンという二つの種族の共存。ここはその理想形と言えた。
だが、段々とそのような人間は減り、卑怯な手を使う者達が増えて行った。それは罠であったり、武器であったり、本来人とポケモンの間で使われるものではなかった。
今までと違い、彼らが望むものは兄妹を仲間にしたいというものではなく金や名声であった。ある者は兄妹を見世物に、またある者は金持ちに売ろうとしていたのだ。
それには深い悲しみを覚えたが、そんな者達に捕まるわけにはいかないと、なおさら激しい抵抗をしていた。
その人間は言った。翠玉の龍に金の龍、お前達が噂の兄妹の龍だな。私と来い、もっと良い生活をさせてやろう。食べ物も、住む場所も、お前達が望むものを与えてやる。
兄妹は言った。そんなものは要らない。私達はここが好きなのだ。ここから離れるつもりはない。
その答えに、人間はどす黒い笑みを浮かべて返した。
ならば、こんな森など燃やしてしまえ。
お前だけでも逃げろ。兄は言った。
嫌だ、兄さんも逃げよう。彼女は懇願した。
既に暮らしていた巨大な樹木は燃え、仲の良かったネズミも炎に消えた。今の彼女には兄しか残っていない、しかし、それさえも捨てろというのか。
嫌だ嫌だと泣く彼女を兄は抱き締めた。
そんなに泣かないでおくれ。僕にはもう、この森から飛び立つだけの力は無い。僕の命はここで終わるかもしれない。だが、この青い玉があれば、僕等はずっと一緒だ。
見れば兄の翼はへし折れ、血が流れていた。
ならなおのこと逃げようと彼女は言ったが、兄は首を横に降るばかりだ。
僕は奴等を止める。その間に早くお逃げ。
見ると彼女達がいるところに、複数の人間がにじり寄って来ていた。
欲に穢れた人間どもめ、兄は憎々しく呟く。
さあ、行きなさい。兄に促され、彼女は目に涙をため飛びたった。
高く、高く、遠く、遠く。
大きな音が鳴り響き、彼女は振り返った。
エメラルドの光が、天に昇って行くのが見えた。
自分が普通とは違う存在だとラティアスが気付いたのは森から逃げ出した後のことである。
あるとき、空を飛び海に出ると、海鳥の集団に出会った。
なんだお前は、お前も魚を取りに来たのか、彼等は言う。
突然のことでラティアスが答えあぐねていると、は次々に水を放ってきた。
出て行け、ここの魚は俺達の物だ、出て行け!
またあるときは小さな泉で水を飲み体を休めていると、一匹の黒い狼が現れた。
お前は誰だ、ここに何の用だ、と狼は聞いた。
私はラティアス、森から逃げてきたのです、どうかここに置いてください。彼女は答えた。
すると、狼は怒った。ラティアスだと? 嘘を言うな、俺は本物を見たことがある。ラティアスの体は赤色のはずだ。お前のような金色ではない!
彼女はその言葉に狼狽し、そのまま狼に追い出されてしまった。
その後も他のポケモン達の中に馴染めなかった彼女は思った。同じラティアスや、兄と同じラティオスなら受け入れてくれる、助けてくれる。そう信じて他の兄妹を探した。
飛んで飛んで飛んで、彼女は青い玉を頼りに、ついに彼等の居場所を探し当てた。
見つかったことが嬉しくて彼等の前に飛び出そうとした彼女だが、ふと立ち止まり、相手と自分を見比べた。
スラリとした首も、丸みのある身体も、翼も、みんな彼女と同じ形。額にも、胸にも、彼等と同じ印がある。
しかし、赤色。金を身につけたのは誰ひとりとしていなかったのだ。
そのことにショックを受けた彼女は、楽しそうに遊ぶ兄弟姉妹達を見つめることしか出来ない。
その中のひとりが彼女に声をかけようとしたが、彼女はそのまま彼等の前から姿を消してしまった。
別の生き方を探ろうと、彼女は人間の街を訪れた。
光を曲げ人と同じ姿になり、ときには姿が見えないようにし、食べられるものを探す。店先に置いてあるきのみなどを盗み、それで飢えをしのいだ。
しかし、それは暫くすると人々が罠を仕掛けたり、ポケモンを置いたりするようになり、そのような生活は出来なくなってしまった。
仕方なく、その町を出て他の町へ向かい、そこでまた同じような生活をした。
その後も同じことを繰り返し、次の町へ次の町へと移り住んだ。
旅慣れてくると、彼女は普段人が寄り付かない場所にも出向くようになった。
ときにはきのみの林を見つけ腹を満たし、またあるときは誰も知らない秘湯で疲れを癒した。たまたま出会った獣を助け、その飼い主の人間に馳走になった。そして、星空を見上げては青い玉に願っていた。
いつの日か、彼女は世界を巡る冒険者となっていた。
あの小さな森では知らなかったことが、こんなにもあったなんて。海も空も大地も、人間もポケモンも、世界はこんなにも輝きに溢れている。あの穏やかな生活も素晴らしかったが、この生活も悪くない。
そう思えるほど、幼き龍は強く、美しく成長を遂げた。
放浪をする金の龍の姿は、人の、ポケモンの間でも噂となった。
見たものは幸せになると、龍の持つ青い玉を手に入れれば、その人は龍に護られ、富と名声を手に入れられるだろうと。
その噂が流れて暫く経った後、とある男が彼女の前に現れた。
あのとき以来か、幼き龍よ。それは、あの日森を焼き払った張本人であった。
あのとき兄を見捨てて逃げた片割れが、まさかあのような素晴らしいものだったとは。さあ、青い玉を寄越せ。それならば命だけは助けてやる。
男の瞳はあのときと同じ、いや、あのとき以上の欲を湛えていた。
これは私と兄さんの大切な繋がりだ。お前のような人間に、渡せるものか。彼女は答えた。
予想していたのだろう、男は配下のポケモンに何かを命じ、自分はこれから起こるであろうことに醜く嗤った。
彼女は戦う。守る為に、生きる為に。
冷たい光線に体を凍りつかされ、鋭い爪に切り刻まれた。
念の力で弾き飛ばし、龍の力の宿る衝撃波を放つ。
霧のような羽毛で作られた球体を大地にぶつければ、そこに立つ者の姿はなかった。
男の姿は既にない、配下の敗戦が見えた時点で奴はこの場から逃げ去っている。取り敢えずは助かった、そう思うと同時に、体も、まぶたも重くなる。
翼は凍り、最早飛ぶ力もない。兄さんと同じだと、思わず微笑みを浮かべてしまう。ああ、きっとここまでなのだろう。
意識を失う前に、彼女は願った。
どうか兄さんが、安らかでありますように。
パチパチと木の爆ぜる音が聞こえる。
彼女がゆっくりと目を開くと、そこには焚き火の世話をする幼子の姿があった。
気がついたんだね、幼子は言った。
相手があの男だったし、間に合わないかもしれないと思っていたんだ。貴方が助かってよかった。彼はそう微笑んだ。
あの男を知っているのか? 彼女は聞いた。
知っているよ。あいつは欲しいものがあれば、どんなことをしても手にいれるんだ。国の偉い人間だから、誰も止められないんだよ。幼子は教えてくれた。
ふと自分の体を見れば、傷には薬が塗られ、布で固定されていた。彼が手当てをしてくれたのか。
何故私を助けた?
幼子は答える。天からお告げがあった。
金の龍がもうすぐ私の前に現れると、彼女を救いなさいと。そして、青い玉を譲り受けろと。
彼女が黙って聞いていると、幼子は言う。お願いだ、貴方の持つその青い玉を僕にくれないか。
彼女は悩み、慎重に言葉を選ぶ。手当てされているとはいえ、何かあったときにこのままでは逃げることも出来ない。
貴方も知っているはず。私の、そしてこの玉の噂を。お告げと言うが、それ以外にも理由があるだろう。助けてくれたことはとても感謝する。しかし、本当のことが言えない人に、これは渡せない。
少し悩んで、真っ直ぐな瞳で幼子は答えた。僕は大事な人達を守りたい。あの人達自身を、住む場所を、生活を。富や名声は要らない、欲しいのは護りの力。僕の大切を守る力をください。
彼女はそれに応えず、その子を見つめる。
少年の瞳を。……彼の心を。
結果から言うと、彼女は玉を譲った。
これからは玉ではなく貴方を守ろう。貴方の大切なものを護ろう。
必要があれば玉に願え、そうすればこの地球の何処にいようとも私は貴方のもとへ行こう。
ただ忘れてはいけない、欲に目が眩み、本当の願いを忘れたときは、その玉は貴方を拒絶するだろう。
そう言い残して、彼女は飛び立った。
金の龍は大地の球を回る。
再びにあの子に会う日を楽しみにしながら。
美しき龍は天に願う。
兄が安らかであるように、あの子の大切が、幸せであるように。
風の噂を聞いた。青い玉を持った青年が国を作ったという。
いつかのあの森には、新しい芽が育まれていた。