6:瞳の色が変わったくらいで倒れることはないよ

 ざわざわと木の葉がこすれる音、きらきらとした木漏れ日。
 辺りには樹木の香りが溢れ、耳をすませば動物たちの話し声が聞こえた。
 ここはトキワの森。トキワシティの北に存在するカントー最大の森だ。
 幼い頃に同じ名前の森に来たことがあるけれど、もっと小規模で、豊かではなかったと思う。
 マサラの森も故郷を思い出すいいところだけど、この森も素敵な場所だな。
 何より、セレビィの目撃例がある。手がかりがあればいいんだけど。

「あ、オレンの実」

 柑橘系の果物に似た、しかし色が食べ物には見えない木の実が道端に落ちていた。体力を回復する効果があるけれど、味は人が食べるにはちょっといまいち。未来では品種改良をしているって話だけど、成功例は聞いたことがない。
 野生のポケモンが落としたのだろうと思いながらその木の実を手に取る。
 突然、頭の中に映像が流れた。

 ーー小さな影が、木の上に木の実を集めている。木の実を乗せた台は支えは細く、何かの拍子で壊れてしまいそうだ。そして、その影は木の実を一つ取ると、何かを取り付けて下に落としたーー

『ルナ?』

 ソーヤの声で意識が戻ってきた。
 なんだろう、夢でも見ていたの?
 いや、それはまだ考えなくていい。今はそれよりも。

「ソーヤ、逃げるよ!」

 わたしが声をあげるのと、大量の木の実が降ってくるのは丁度同じタイミングだった。
 誰だよ、こんなところにトラップ仕掛けた奴!

「た、助かった……。ソーヤ、大丈夫?」

 はあ、何とか逃げ切れた。手にしたオレンの実には蜘蛛の糸のようなものがちょっとだけ残っていた。
 これって、虫ポケモンの糸だよね。細くて、丈夫。こういう罠にはもってこいだ。
 不思議な予知夢? みたいなもののおかげで助かったが、あれはいったい何だったんだろう。

『ぼくは平気ー! ルナこそ大丈夫? 目、痛くない?』

 何で目だけピンポイントなんだろう。特に痛くもなにもないんだけど。

『だって、目の色が変わっているのに大丈夫なわけないじゃん!』

 どういうこと、それ。
 わたしは怖くなって慌てて鏡を取り出した。

「なに、これ」

 そこに写ったのは確かにわたしだ。でも、違う。
 髪と同じ薄い茶色だった瞳の色は、この森に生えている木々の葉のような緑色になっていた。
 セン、変なことが起こり過ぎてわたしはもうよくわかんなくなってきたよ。

「目は痛くないし、体がだるいわけでもない。たぶん大丈夫。たぶん」
『ほんとう? 無理してない?』

 たぶん。瞳の色が変わったくらいで倒れることはないよ、きっと。
 実際、ソーヤに言われるまで気づかなかったのだからほっといてもいいだろう。

「博士なら何かわかるかもしれないし、早いところ森を抜けた方がいいかも」

 うーん、ケータイが欲しい。連絡取るのにわざわざポケモンセンター行くのは面倒くさい。
 ああでもポケギアにしようかな、カードを買えばいろいろ拡張出来るみたいだし。ライブキャスターも捨てがたいけど、あれはイッシュでしか取り扱っていないんだよなあ。
 何となく、もう一度木の実トラップがあった場所を見ると、何処かで見たシルエットが。
 どう見ても犯人です、どうもありがとうございました。

「ソーヤ、行くよ!」
『森を出るんじゃなかったの!?』

 だってどんなの子なのか気になるじゃん!

『それだけ!?』
「え? ソーヤは気にならない?」
『気になる!』

 走りながら、わたしは少し戸惑っていた。
 初めてきた場所なのに、見失っても相手の居場所がわかる。何処を通ると走りやすいのかがわかる。
 まるで、森がこっちだよ、こっちだよって、教えてくれているみたい。
 あ。やっと追いついた。相手は木の上で一息付いている。
 気付かれないように、そろりそろりと近づいていく。

「あ」
『え、うそ』

 目が合っちゃった。
 ヤバい、あの子ビックリして足滑らした!
 急いで走り出す、間に合え!

「く……さすがに腕が痛い」
『な、何なのよ、あなた…!』

 腕がじんじんする。
 それと、そんなに睨まないでよ。ねえ、ピカチュウ?

「わたしはルナ。さっきあなたの仕掛けた罠に引っかかっちゃってねー、仕返ししようかと」
『何で私だってばれたの!?』
「あ、やっぱりそうなんだ」

 そうなると、あの夢は過去の出来事を見せていたんだな。いきなり見えた理由とから、何故瞳の色が変わるのかはわからないけど。
 ピカチュウはわたしとの会話が成立していることに驚いていたが、わたしは既にその反応には慣れていたのでスルーした。初めて会う動物って皆同じ反応するから慣れた。

『変な人間。楽しそうにそんなこという人初めて見たわ』
「あはは、自覚してるよ」
『ルナは変じゃないもん! やさしくて、やわらかくて、あったかいの!』

 その気持ちがちょっとくすぐったい。
 ありがとうという気持ちを込めて、彼をぎゅーっと抱きしめた。お日様の匂いがした。
 ピカチュウはそんなわたしたちを見て大丈夫だと判断したのか呆れたのか、警戒を解いてくれた。
 むしろ、羨ましいと言った感じでソーヤを見てる。

『あなた、あの人達とは違うみたいね。悪かったわ』
「あの人たち?」

 ピカチュウはいろいろと話してくれた。
 彼女は森のリーダーみたいなものらしいで、仲間と楽しく生きてきたそうだ。
 やってきたトレーナーとかにイタズラしたりちょっかい出したり、すっごい楽しそう。
 しかし、最近怪しい人間がトキワの森に出入りしているのを知って、森を守るために行動を始めたらしい。

『みんなお揃いの真っ黒い服を着ている人達よ。ここで探し物をしているみたいなの』
「黒い服? あの人達みたいな?」
『うん、そうそう。って、隠れるわよ!』

 わたしたちの視線の先には、お揃いのコスチュームを着た不審者たちがいた。
 黒い服に黒い帽子。そして胸にはでかでかと赤く描かれたRの文字。何というか、いかにも悪の組織のしたっぱです、といった格好だ。
 しかし、舐めてはいけない。
 彼らは平和なこの世界の歴史の中で、数多くの事件を起こした組織の一つ。

「……ロケット団」

 うわー、教科書のイラスト通りじゃん。ロケット団って本当にあの服着てるんだ。そうなると、他の組織も教科書通りなのだろうか。関わりたくはないが、ちょっと見てみたい。
 あんな格好だとコスプレ集団の可能性もあるけれど、彼らの雰囲気というか、気配がそうでは無いと伝えていた。

『ルナ、あの人たちやな感じだね。……ルナ?』

 悪人であることは間違いない。
 今までそう習ってきたし、こちらでもニュースで取り上げられることもあった。
 でも、今わたしは実際に犯罪行為を見ているわけではないのに。
 何で、頭の中でずっと警告音が鳴っているの。何故、嫌な予感がして仕方ないの。
 何をしているのかさえわからないのに、なんで止めなきゃって思うの?

『こっちよ、早く来て』

 離れるまでのその間、ロケット団はわたしたちには気が付かなかった。
 まるで、森が守ってくれているようだった。

『着いたわ、ね、素敵でしよ?』
『わあ……!』

 ピカチュウが案内してくれたのは、森の最奥部の広場。
 厳かな雰囲気がありながら、心が安らぐ力に満ちているみたい。
 先ほどまでの嫌なものが全て消えていくのを感じた。
 目的地に着いたようなのでちょっと瞳を確認する。うーん、まだ緑のままかあ。

『ピカチュウよ、客人か?』
『長老様!』

 悠然と現れたのは、蛙のような体に、背中に大きな花を乗せたポケモン。フシギバナだ。

『長老様、ごめんなさい。でも、ルナは他の人間と違うと思ったの! だから連れてきちゃった!』
『安心しなさい。儂は怒ってはおらんよ。人間の娘よ、こっちに来なされ』

 穏やかそうな人だなあ。
 小さな動物たちがその周りに集まっていて、慕われているのが一目でわかった。

「長老様、はじめまして。ルナと言います」
『ぼくはソーヤ! おじいちゃんよろしくね!』

 お、おじいちゃんって。その通りなんだけどそこは長老様って呼ぼうよ。

『でも、おじいちゃんでしょ?』
「そうなんだけどね、目上の人にはちゃんとした言葉遣いにしないとね」
『うーん。わかった! これから気をつける!』

 その間、長老様はじっとわたしたちを観察している。
 でも、嫌な感じではない。きっとわたしたちを見極めようとしているだけなんだ。

『その目は、生まれつきか?』
「いえ、何故か先程変わりまして。本当は髪と同じ色なんです」
『そうか。なら貴女は森の民を知っておるか?』

 んー、知らないなあ。でも、重要ワードっぽい。調べてみようかな。
 首を横に振ると、そうかと笑っていた。
 優しいけど、悲しそうな笑みだった。

『これを見て下され』

 そこにあるのは、見覚えのある祠だった。作りが同じ、しかしわたしが知っているものよりも小さい。
 そして、これはセレビィに関わる場所である証拠でもある。

『貴女のような娘が現れたら見せるよう頼まれていたのだ。済まないが中に納めておる緑の石に触れてくだされ』

 どうやらわたしは緑の石に縁があるらしい。
 磨かれた美しい石にそっと触れる。

 ーー女の人とキュウコンが祠の前で話している。
 あちこちで人やポケモンが倒れている。辺りは焼け野原になっていた。

「ここももうダメね」
『そうか……やはり、彼らの計画に乗るしかないのか』

 女の人の顔ははっきりは見えない。まるでそこだけ霞がかかっているようだ。
 しかし、その声は何処か懐かしかった。

「ごめんなさいね。貴女はあの人達のこと嫌いなのに」
『いや、いいんだ。もう一度、あの子に会えるなら私は……』

 それに、あのキュウコンはーー

「セン……?」
『ルナ、大丈夫?』
『長老様! ルナに何したんですか!』

 また「見え」た。
 何なのだろう、これは。

「長老様。これは、祠はセレビィとどういう関係が」
『まだ話すことは出来ない。貴女が成長し、もう一度儂と会うことがあればその時に話してあげよう』
「なら、話してもらえるように頑張ってきます。ね、ソーヤ?」
『うん! 当たり前でしよ!』

 今は話してくれないのか。
 セン、あなたはなにか知っているの?

『その目は森を出る頃には元に戻るだろう。あの黒い者達に気を付けなさい』

 聞きたいことは沢山あるけれど、この方は話してはくれないだろう。
 それなら自力で調べるしかない。

『長老様、わたしはルナに付いて行くわ』

 何か考えているようだったピカチュウが声をあげた。
 それに付いて行くって、わたし聞いてないよ?

『何故だ?』
『心配なのよ。長老様がルナにわざわざ気をつけろっていうことはこれから何かあるってことでしょ?』

 わたしも、ただの時間旅行では済まなくなりそうな気がしていた。
 何が起こるのかは全くわからないけれど。

『その時、あたしはルナの側にいてあげたい。ソーヤはまだ子供だから任せられないし』
『子供じゃないもん!』
『子供でしょうが。そういうことで、あたしは行くわ。止めてもムダだからね』

 それはわたしがダメって言っても付いて来るってことだよね。

『と、いうことでよろしくね、ルナ!』
「勝手に決めちゃって。ここのポケモンのことはいいの? リーダーなんでしょう?」
『問題ないわ。このトキワの森のルールとして、気に入ったトレーナーが出来たら無理矢理でも付いて行くべしっていうのがあるから。みんなわかってくれる』
「無理矢理……。まあ、それならいいんだけど。でも、わたしは突然消えてしまうかもしれないよ?』
『大丈夫よ! そうなる前にあたしが守るから!』

 そういうことじゃないんだけどなあ。
 それに、そういうことじゃあこっちも断れないじゃないか。
 でも、わたしのことを気に入ってくれたって言うのはとてもうれしいな。

「よし、二人とも行こう!」
『うん! ねえ、ルナ。次はどんなところかな?』
『あ! ソーヤ、わたしを置いてくんじゃないわよ!』

 仲間が増えて、賑やかになった。二人の言い合いを聞いていると思わず笑顔になる。
 さあ、ニビシティに向かおうか。

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